スリランカ(クルネーガラ)派遣 総括報告「日本人らしく、心技体の柱でコーチング」

古川新一
派遣先:スリランカ・クルネーガラ県クルネーガラ
派遣期間:2013年3月26日~6月23日

■現地の人々と共に成長することが魅力だった
私がこのプロジェクトへの参加を志願した動機は3つあります。1つ目は私の得意分野であるラグビーであること、2つ目はボランティアであることです。仕事であれば成果を出せばいいだけです。しかし、このプロジェクトに求められるのは、現地の人々と共に成長し、自立を支援することです。そこが魅力でした。3つ目は直感。ビビっときました。
私は、近畿大学出身で3年間は母校でのコーチ経験があります。そのコーチング能力が海外でも通用するのかを試したい気持ちもありました。また、以前より海外で仕事をしたいという希望があり、ラグビーでも強いチームをコーチしたいとも思っていました。そんな目標に到達するためにも、今回のことは、いい経験になると感じたのです。
スリランカに行くのは初めてでした。同国のラグビー事情にも詳しくありません。しかし、行くからには何か目標を持たなければいけないと考えました。大きな目標は、現地のコーチのレベルを上げること、子供達の競技人口を増やすこと。具体的には、現地で担当するチームのスクラム、ラインアウトというセットプレーの獲得率を上げることを目標としました。私はボールの争奪戦が役目のフォワード選手でしたので、ここが得意分野だからです。

■心技体の柱でのコーチングが選手を変えた
スリランカ最大都市のコロンボでJICAのオリエンテーションを受け、スリランカで三番目に大きな都市である西部のクルネーガラに入りました。
 二大都市であるコロンボとキャンディではラグビーは盛んに行われています。日本の「早明戦」のような学校対抗の試合を見る機会があったのですが、観客が1万5000人ほど集まっていて驚かされました。
 私が行ったクルネーガラは、残念ながらラグビーは盛んではありませんでした。私が担当したのは、この町にあるマリヤデヴァ・カレッジという学校の20歳以下のチームでした。天然芝のグラウンドにゴールポストが立ち、スクラムマシーンもありました。プレーする環境は立派なものです。選手は約20名。16歳以下、12歳以下のチームもあり、全部で80名ほどの選手がいました。このチームを3カ月指導し、ここを軸に近隣のチームをスポットコーチとして巡回しました。

私が着任したときには、すでに国内リーグが始まっていました。スリランカには、UNDER 20 SCHOOLS RUGBY LEAGUE という全国リーグがあり、実力別にディビジョンA、B、Cさらに下部と分かれ、それぞれ10チームずつが総当たりで戦っていました。マリヤデヴァは、三番目のディビジョンCに属していました。
初めて見た試合はリーグの2試合目でした。その試合と3試合目は負けました。4試合目に勝ったあたりから上昇気流に乗り、順位も上がって行きました。映像による分析は1試合だけ実施できましたが、5位に浮上したとき、私は選手達に数字を示しました。全試合の失点数が、141点。そのうち最初の3試合での失点が、126点、ここ3試合の失点は、わずか15点。「数字からみてわかるように、ディフェンスは私達の武器になった。これから、もっと成長していこう」。スクラムも組む姿勢から改善し、獲得率は当初8%だったものが最後に100%になり、ラインアウトについても、22%から91%までレベルアップ。最終的にはリーグ4位となりました。
もちろん、すべてが上手く運んだわけではありません。練習中に、「ズル」をして走るコースをショートカットしたり、規律を守らなかったり。試合に負けたあと、「勝ちたかったら練習しよう」と約束したのに、次の練習では人数が減ってしまうこともありました。
そこで私は、3つの柱で指導することにしました。「心技体」です。心(Attitude)、技(Skill)、体(Strength)。「心」は、骨惜しみせずワークハードすること、「体」は、筋力トレーニングのみならず知識も身に着ける意味を含みます。
 時が経つにつれ、3つの柱でコーチングするのが、日本人コーチの強みだと感じました。実際には練習時間に遅刻してくる選手が多かったのですが、練習プランの時間割をホワイトボードに書いて示すと、次第に遅刻が減りました。遅刻すると練習について来られないということを理解してくれたのです。最後まで来ない選手もいましたが、心技体を柱にしたことで、バランスのいい指導ができたと思います。
 相撲をトレーニングに取り入れたこともあります。選手たちは日本の文化に触れる事ができて大変喜んでいました。トレーニングの目的は「脇を締めること」です。相撲は、脇の下に手を差し込まれると、力が入らず負けてしまいます。この理屈は、ラグビーのコンタクトプレーと同じなのです。選手たちは相撲を楽しみながら、「もう一回!」と負けん気の強さを発揮していました。最終的には私がすべて勝ってしまったのですが。

■最高の成果は、親友を得たこと
スリランカに行く前に決めていたのは、「スリランカ人になって帰国しよう」ということです。スリランカの人々は、食事は手で食べ、トイレでは紙を使わず、手を使って水で洗い流します。そんな日本とは違う生活習慣も、最初に覚悟を決めていたことでまったく苦になりませんでした。
 印象に残った思い出は、700kgのイモを無料で配るお祭りです。夜中の2時から皮を剥き、終わったのが朝の9時。調理をして、午後4時に配り始めました。終わったのは午後7時です。700kgのイモが全部なくなりました。現地ラグビー協会のシャレー氏が教えてくれました。「こうして無料で配る事により、皆に幸せを分け、その分、自分にも幸せが得られるんだ」。この考え方には感銘を受けました。
 ラグビーとは少しずれますが、今回のスリランカで一番良かったことは、親友ができたことです。ホームステイした家のオーナー(シャルメンラ氏)と、マリヤデヴァ・カレッジのコーチ(ラサンタ氏)とは心から打ち解けることができました。スリランカでは、友達のことを「マチャン」と言います。この2人とは、「ビッグ・マチャン」と呼び合い、帰国後も毎日電話で話すほどの友達になりました。
「現地の人々とともに」というJICAの言葉があります。自分のためだけではなく、現地の人々と一緒に成長していく。この考え方を体感することができました。もう一つ、「奥地前進主義」という言葉があります。現地の言葉を話し、現地人となって行動する。私自身もかなりスリランカ人に近づいたと思います。これからは、現地人だけではなく、この活動をサポートしてくれた日本人やそのほかのスタッフも含め、すべての人たちとともに歩んでいきたい。そんな思いを強くする活動となりました。